ランニング理論・科学

【卒業研究】ランナーの上り坂パフォーマンスは生理学的3要因で決まるのか?

【卒業研究】ランナーの上り坂パフォーマンスは生理学的3要因で決まるのか?

 杉山 魁声(体力学:運動生理学)2022年 3月卒業

指導教員:※鍋倉 賢治、榎本 靖士、小野 誠司

キーワード:長距離ランナー、上り坂、クラシックモデル、最大血中乳酸値、ランニングフォーム

【背景】

学生駅伝には上り坂や下り坂が大部分を占める特殊な区間が存在する。上り坂走と平地走の経済性は高い相関関係を示す。しかしながら、平地走の走力がそのまま上り坂走の能力に反映されるとは限らない。また、学生駅伝における選手の選考基準は指導者の主観に頼ることが多いが、実際に指導者の主観的評価がどのような指標を基に行われているかは明らかではない。


駅伝やロードレース・クロスカントリー走において、上り坂を攻略することが順位やタイムに影響する。上り坂のパフォーマンス要因についての研究は数多くあるが、トップアスリートを対象とした研究は少なく、上り坂の得手不得手を明らかにする要因は明確になっていない。この研究では筑波大学駅伝チームに所属する選手(高レベルアスリート)を対象に上り坂の得手不得手を構成する生理学的要因を明らかにすることを目的とした。

【緒言】

・平地走での高いパフォーマンスは最大酸素摂取量、走の経済性(ランニングエコノミー)、血中乳酸閾値(LT、OBLA)によってある程度説明可能と言われている(Coyle, 1999; Kyrolainen, Belli, & Komi, 2001)。
・上り坂では平地と比べてランニングフォームが変化することが報告されている(Lemire, Hureau, Remetter, et al. 2020; Padulo, Annino, Migliaccio, D’Ottavio, & Tihanyi, 2012)
 ※これらの研究では、ランニングフォームの変化が上り坂パフォーマンスに及ぼす影響については検討されていない

・上り坂走のパフォーマンス要素は VO2MAX、BMI、下肢最大筋力によって 説明できると報告されている
(Lemire et al. 2021)

この研究では、15%の傾斜の激しい上り坂下り坂にて実施している為、ロードランナーへの応用が難しいので、平地での体力が上り坂のパフォーマンスを反映しているかは不明であると言える。そこで、
平地走と同様に上り坂パフォーマンスを3要因で説明できないか? と考えた。

【目的】

本研究は、以下のことを目的に実施した。
1)上り坂タイムトライアルのパフォーマンスを決定する要因を生理学およびバイオメカニクス的指標から明らかにすることにより、上り坂走に優れたランナーの特徴を明らかにすること。
2)上り坂の得意不得意について現場の指導者の主観による評価と実際のパフォーマンスを比較することにより、指導者の主観の妥当性を明らかにすること

【方法】

被験者は長距離ランナー10名とした。1%の傾斜をつけたトレッドミル上で最大下負荷試験および最大負荷試験によって構成される有酸素性能力テストと、5%傾斜条件下での最大下負荷試験、8㎞上り坂タイムトライアル(上り坂T.T.)をそれぞれ別日に実施した。

また有酸素性能力テストの前後2週間以内で5000mの記録会に複数回出場し、そのうち最も速い記録を直近の5000m自己ベスト記録(5000mSB)とした。
実際のパフォーマンスや生理学的指標などの客観的評価の他に、被験者自身および駅伝チームの指導者3名を対象に各人の上り坂の得意不得意を、得意を1、苦手を4とする4段階評価のアンケートを実施した。上り坂T.T.の所要時間を5000mSBの所要時間で除した値を上り坂適性指標として求め、その上位3人、中位4人、下位3人をそれぞれ上-中-下位群とし平均値の比較を行った。

【算出項目】

■Cost of O2 Transition (COT : ml/kg/km) / (Perl et al. 2012)
COT = 1000 ÷ トレッドミルの分速 × VO2 (ml/kg/min)
■Energy Cost (EC : j/kg/min) / (Kyrolainen et al., 2001)
EC = (( VO2 (L/kg/min) ) * 20202 + (RER-0.82) * 100 * 50) / BW + Bla * 60
■Lactate Threshold (LT)
■Onset of Blood Lactate Accumulation (OBLA)
計算プログラムLactate-Eを用いて運動強度に対する乳酸値の回帰曲線における急な上昇点の速度をLT, 4 mmol/Lの速度をOBLAとした
■ストライド頻度・長の変化率(%)
ΔCADENCE(%) = (5%CADENCE – 1%CADENCE) / 1%CADENCE×100
ΔSTRIDE(%) = (5%STRIDE – 1%STRIDE) / 1%STRIDE×100
■上り坂適正指数
上り坂適正指数 = 上り坂 T.T.(s) / 5000 m SB(s) ※平地の走力を補正するために算出
■上り坂適正の群分け
上り坂適正指標における上位3名中位4名下位3名を それぞれ上-中-下位群とした
■ピアソンの相関係数
各数値の相関
相関の見られた数値どうしの重回帰分析を行なわない様に留意した
■重回帰分析
平地パフォーマンス   × 有酸素性体力指標
上り坂パフォーマンス  × 有酸素性体力指標
上り坂適性指数     × 有酸素性体力指標
■統計ソフトウェア
SPSS statistics24 (IBM社, アメリカ)

【結果と考察】

3要因で5000mはある程度説明できるが(R²=0.651)上り坂は説明できなかった(R²=0.213)。しかし、3要因にPeak Blaを加えると説明率が上がることが明らかになった(R²=0.498)。

上位群の%LTが高い傾向が見られた

平地と比べてピッチが増加傾向にある

駅伝チームの指導者3名の上り坂走の観察指標と適性指標の関係を検討したところ、チームの指導年数が最も長い指導者Hの観察指標との間に相関関係が認められた。その上り坂適性指標を基に上位3人、中位4人、下位3人に群分けを行い、群ごとにVO₂max、LT、RE、およびPeak Blaの平均値を比較したところ、上位群では%LTが高くPeak Blaが低い傾向が見られた。また、上り坂適性指標とPeak Blaの間に有意な関係は認められなかったが、わずかに正の相関傾向が見られた。

最大血中乳酸値が低い選手ほど上り坂が得意な傾向にある

これらの結果から平地走における耐乳酸性能力が高く、乳酸が出にくい傾向にある選手は上り坂に強い潜在能力を有している可能性がある。本研究では平地と上り坂での走法の変化を確認するために、速度が一致する中で最も速い速度の16.8㎞/hの接地時間、ピッチの差(%)を算出し、それぞれの値を群間比較したところ,上位群から下位群にかけてピッチの変化があることが明らかになった。

結果1.上り坂を得意とする選手は最大乳酸値が総じて低く、%LT(最大酸素摂取量の走行速度に対するLT値の割合)が高い傾向にあった
→走行によって生成された乳酸の除去能力、または利用能力が高いことが示唆される

結論2.上り坂を得意とする選手は上り坂走行時にピッチを大きく変化させている(フォームを変化させている)傾向にあった
→上り坂走行には それに適したランニングフォームがある可能性が高いことが示唆される

これらの結果から上り坂走で高いパフォーマンスを発揮する選手は、傾斜に合わせてランニングフォームを変化させている可能性がある。
傾斜によってランニングフォームが変化する要因(Padulo et al., 2013, Yokozawa et al., 2007)
上記の研究からは、上り坂走行におけるランニング動作には、以下の2つ評価が重要なポイントとなると考えられる。
・足首の底背屈角度

・股関節の屈曲伸展動作

【結論】

上り坂走が得意な選手は平地の有酸素能力テストにおけるLT値が高く、最大血中乳酸値が低い傾向にあること。

適性指標による群分けと最大血中乳酸値の関係

および傾斜走行時にランニングフォームを平地と比べて変化させていることが明らかになった。これらのことから平地におけるLTの向上と傾斜に応じてランニングフォームを変化させる能力が上り坂で高いパフォーマンスを発揮するために必要なことであると考えられる。

・LT値が高く、最大乳酸値が低い選手ほど上り坂を得意とする傾向にある。
・上り坂を得意とする選手は平地と比較して、ランニングフォームを大きく変化させている可能性がある。

【研究の限界】

有意差が認められなかった原因について、本研究では駅伝チームのAチーム(走力上位グループ)に所属している10名を対象としたために、被験者の測定値がLemireら(2021)の研究対象者と比較して等質な集団(走力の高いアスリートの実験群)であったことによるものと考えられる。

【引用文献】

・Chapman, R. F., Laymon, A. S., Wilhite, D. P., McKenzie, J. M., Tanner, D. A., & Stager, J. M. (2012). Ground contact time as an indicator of metabolic cost in elite distance runners. Medicine and Science in Sports and Exercise, 44(5), 917–925.
・Coyle, E. F. (1999). Physiological determinants of endurance exercise performance. Journal of Science and Medicine in Sport, 2(3), 181–189.
・Kyrolainen, H., Belli, A., & Komi, P. V. (2001). Biomechanical factors affecting running economy. Med Sci Sports Exerc, 33(8), 1330–1337.
・Lemire, M., Hureau, T. J., Favret, F., Geny, B., Kouassi, B. Y. L., Boukhari, M., … Dufour, S. P. (2021). Physiological factors determining downhill vs uphill running endurance performance. Journal of Science and Medicine in Sport.
・Lemire, M., Hureau, T. J., Remetter, R., Geny, B., Kouassi, B. Y. L., Lonsdorfer, E., … Dufour, S. P. (2020). Trail Runners Cannot Reach V˙O2maxduring a Maximal Incremental Downhill Test. Medicine and Science in Sports and Exercise, 52(5), 1135–1143.
・Padulo, J., Annino, G., Migliaccio, G. M., D’Ottavio, S., & Tihanyi, J. (2012). Kinematics of running at different slopes and speeds. Journal of Strength and Conditioning Research, 26(5), 1331–1339.
・Timothy Joseph Breiner, Amanda Louise Ryan Ortiz & Rodger Kram.(2019). Level, uphill and downhill running economy values are strongly inter-correlated. European Journal of Applied Physiology volume 119, pages 257–264 Cite this article
・Tanji, F., Enomoto, Y., & Nabekura, Y. (2017). Step parameters and running economy of well-trained distance runners during high-intensity running. Taiikugaku ・Kenkyu (Japan Journal of Physical Education, Health and Sport Sciences), 62(2), 523–534.
・Seki, K., Kyröläinen, H., Sugimoto, K., & Enomoto, Y. (2020). Biomechanical factors affecting energy cost during running utilising different slopes. Journal of Sports Sciences, 38(1), 6-12.

【投稿者】

杉山魁声(2022年3月筑波大学卒業)体力学研究室所属(鍋倉教授)
学生時代の競技成績:日本インカレ 5000m 5位 / 2020年 箱根駅伝 7区出場
4年次には駅伝主将を務め、現在はKao(花王)陸上競技部に所属し活躍中

この記事を書いた人
学生アスリート
令和のいだてん
筑波大学 陸上部 駅伝メンバーです。 箱根駅伝出場を目指し日々鍛錬中!

RELATED

PAGE TOP